Re-birth 「ただいま」から始まる可能性∞LIFE

共に心を耕し、無限の可能性の花を咲かせる ☆こころの路cocreator☆徒然blog

私の中の当たり前探し

最近のマイブーム。

『私の中の当たり前探し』

 

意外と難しいのです。

なんといっても、

「当たり前」なので、

不自然感ゼロすぎて・・・

 

 

じゃあ、そもそも

なぜそんなことを始めたのか?

 

それは、「自分の殻を壊すため」です。

 

私の当たり前、常識は

私という人間形成に

大きな大きな役割を担ってくれています。

それは、

ときには意思決定をしやすくしたり

生きやすくしてくれたり

周りと会話がしやすくなったりします。

その範囲の中にいると、安心します。

 

 

でも、一方で

私のイメージできる範囲、

行動できる範囲、

創造できる範囲は

その当たり前の範囲の中に収まります。

そして、その外に出ようとはしなくなります。

範囲の外のことは、排除するようになり

時には敵意さえ持つようになります。

 

それは、言葉を変えれば、

なんとなくの安心と引き換えに

私の世界や未来を

自ら狭めて、縛ってしまうという一面もあるということ。

 

わたしは○○な人間だ。

その規定が当たり前であればあるほど

同時に、規定の内容と反対のことは

切り捨てているとも言えるのです。

 

例えば、

わたしは

絵も、色ぬりも小さいころから下手だったし

何かをデザインしたり、クリエイティブなことは私にはできない!

と思っていました。

 

その背景は、

子供のころからずっと、3つ上の姉と比較していたから。

絵も、色ぬりも、いっつも姉の方が上手。

だから、いつのまにか

「どーせわたしは下手だもん。

 絵とか芸術的なものは向いてないもん!

 やったってしょうがないから、やらなーい。」

と、

やる前から諦めるようになり、嫌いなんだと

思い込むようになっていました。

 

しかし、最近、

思いがけず、製図を書いたり、色を塗ったりする機会がありました。

最初は苦手意識バリバリ・・・笑

でも、実際は、やり始めてみると、

ものすごーーーく集中して、時間があっという間に過ぎていく。

 

「あれ〜〜〜〜〜!? すごく楽しい!!!」

 

そうなんです。

べつに嫌いなわけじゃなかった。

べつにとりわけ下手すぎるわけでもなかった。

(上手いかどうかは別ですが・・・)

 

小さい頃の姉と比較していた経験によって

知らないうちに

「芸術的なことをやるのは嫌いで、向いていないわたし」

が当たり前になってしまっていたのです。

 

これは、ほんの一例ですが

実はこうゆうことがほんっとにたくさんあります。

 

自ら自分の可能性を潰してしまったり

自分という人間を小さくしていることが。

 

当たり前を探し出すこと。

そして、その当たり前の外のイメージを広げてみること。

それが、自分の殻を破るきっかけになります。

 

まだまだ、このマイブームを続きそうです。