Re-birth 「ただいま」から始まる可能性∞LIFE

共に心を耕し、無限の可能性の花を咲かせる ☆こころの路cocreator☆徒然blog

「東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り」より

奈良といえば・・・

「大仏」である!!

 

修学旅行などで、一度は「東大寺」へ足を運んだ人も多いのではなかろうか。

私も、高校生のとき、下から大仏様のお顔を仰ぎ見ては、

電気もなく、クレーン車もない時代に、よくこんなに大きな大仏様を造ったものだと

感心したものだ。

 

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しかし、この大仏様は、「一度作って、はい終わり!」ではない。

二度の焼失を経験してもなお、その時代の人々の平和を願う意思によって

大復活を遂げてきたドラマの結果体なのだ。

 

今回、私が宮城県多賀城市にある東北歴史博物館を訪れたのは、

東大寺の二度の再興の歴史を通して、

東北の震災からの復興を祈念し開催された特別展

東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り」を観るためである。

 

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焼失した東大寺の復興に尽力した2人の上人のうち、

一度目の復興に取り組んだ「重源上人坐像」の前に立ったとき

私は、その気迫に目を離せなくなってしまった。

ぐいっと首を前に傾けて前のめりになり、首も手も筋張っている晩年の姿に

彼の生きざまがギュッと圧縮されてるようだった。

 

無名の重源上人が東大寺再建のため、大勧進に抜擢されたのは61歳。

日本仏法、国の安定をかけた大事業に、命を懸けて奔走することとなる。

 

重源上人について気になり調べてみると、

私の僧侶に対する穏やかなイメージに反して、独創性と実行力が際立っている。

今までなかったネットワークを作りそれを活用する方法も、

自らが全国行脚する際の効果的なやり方も、

人材の集め方や動かし方、動員された人材の範囲の広さも・・・

ここでは、その内容までは触れないけれど、異端であったことが伺える。

 

しかし、60歳を超えた1人の人間が20年弱もの長い年月をかけて、

なぜこの未曽有の大プロジェクトを成功に導くことができたのか。

私には、重源上人は、東大寺の復興後の完成図が見えていたのではないかと

思えて仕方がない。

そして、完成後に訪れるであろう日本の平安な未来もまた、

彼の頭の中にはくっきりと描かれていたのではないだろうか。

 

だからこそ、目に映る全ては、

どこから変えたらいいのか分からない不可能な現実ではなく、

方向性が明確な変化しかない現実であり、

出会う人は、身分や役職ありきの存在ではなく、

身分や役職さえもその人が持つ個性となり、ミッション達成のための道具であり、

仲間として巻き込んでいけたのではないだろうか。

 

重源上人の日本の平安を願う意志の力。

それこそが、常識にとらわれない発想と粘り強く超人的な実行力を生み出し

前へ前へと進む原動力になったのかもしれない。

あの、前のめりの重源上人坐像を思い浮かべて、そんなことを思った。

 

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さあ、この意志の力を、現代の日本人である私たちは

どんなミッションに使おうか?!

 

 復興への祈りと共に、人間の秘めた力に可能性を感じ

パワーをもらった時間になりました☆