「東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り」より
奈良といえば・・・
「大仏」である!!
修学旅行などで、一度は「東大寺」へ足を運んだ人も多いのではなかろうか。
私も、高校生のとき、下から大仏様のお顔を仰ぎ見ては、
電気もなく、クレーン車もない時代に、よくこんなに大きな大仏様を造ったものだと
感心したものだ。
しかし、この大仏様は、「一度作って、はい終わり!」ではない。
二度の焼失を経験してもなお、その時代の人々の平和を願う意思によって
大復活を遂げてきたドラマの結果体なのだ。
東大寺の二度の再興の歴史を通して、
東北の震災からの復興を祈念し開催された特別展
「東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り」を観るためである。
焼失した東大寺の復興に尽力した2人の上人のうち、
一度目の復興に取り組んだ「重源上人坐像」の前に立ったとき
私は、その気迫に目を離せなくなってしまった。
ぐいっと首を前に傾けて前のめりになり、首も手も筋張っている晩年の姿に
彼の生きざまがギュッと圧縮されてるようだった。
無名の重源上人が東大寺再建のため、大勧進に抜擢されたのは61歳。
日本仏法、国の安定をかけた大事業に、命を懸けて奔走することとなる。
重源上人について気になり調べてみると、
私の僧侶に対する穏やかなイメージに反して、独創性と実行力が際立っている。
今までなかったネットワークを作りそれを活用する方法も、
自らが全国行脚する際の効果的なやり方も、
人材の集め方や動かし方、動員された人材の範囲の広さも・・・
ここでは、その内容までは触れないけれど、異端であったことが伺える。
しかし、60歳を超えた1人の人間が20年弱もの長い年月をかけて、
なぜこの未曽有の大プロジェクトを成功に導くことができたのか。
私には、重源上人は、東大寺の復興後の完成図が見えていたのではないかと
思えて仕方がない。
そして、完成後に訪れるであろう日本の平安な未来もまた、
彼の頭の中にはくっきりと描かれていたのではないだろうか。
だからこそ、目に映る全ては、
どこから変えたらいいのか分からない不可能な現実ではなく、
方向性が明確な変化しかない現実であり、
出会う人は、身分や役職ありきの存在ではなく、
身分や役職さえもその人が持つ個性となり、ミッション達成のための道具であり、
仲間として巻き込んでいけたのではないだろうか。
重源上人の日本の平安を願う意志の力。
それこそが、常識にとらわれない発想と粘り強く超人的な実行力を生み出し
前へ前へと進む原動力になったのかもしれない。
あの、前のめりの重源上人坐像を思い浮かべて、そんなことを思った。
さあ、この意志の力を、現代の日本人である私たちは
どんなミッションに使おうか?!
復興への祈りと共に、人間の秘めた力に可能性を感じ
パワーをもらった時間になりました☆