比較のシフトチェンジ
人間は、常に比較する生き物。
親、兄弟、親戚、パートナー
幼なじみ、親友、友人
同僚、先輩、後輩、上司
テレビの中の誰か
歴史上の人物
すれ違ったあの人・・・
言うならば、自分の人生の中で、
目に映るあらゆる人物を無意識に比べている。
いや、5感覚の情報データとして入ってきたすべてのものを
比較し、判断し、生きている。
トマト1こ買うにしても、どっちが新鮮そうか見極めている。
「比較」自体に、いいも悪いもない。
違いを認識できるから、比較できるのだ。
境界線によって分けられるからこそ、存在できる。
個性が明確になり、色鮮やかな世界が生み出されるのだ。
しかし、私たちはいつも相対比較に悩まされる。
昔は、比較対象は直接会ったことのある誰かだったが
ITが発達し、情報は溢れて、対象範囲は地球上の全ての人間に広がった。
次から次へと現れる対象者に、
嫉妬、悔しさ、不安、優越、喜び、安堵・・・
あらゆる感情が嵐のように入り乱れ、疲弊する。
自己否定と他人否定に忙しくなり、
ついには、自己価値が危ぶまれることさえある。
もし、条件反射に、分けて、比べてしまうのが人間なのであれば、
本当はいったい何と何を比較するべきなのか。
それは、自分と自分。
1秒前でも過去は過去。
「過去の自分」と「今ここの自分」の絶対比較。
「諸行無常」
この世が変化しかないのであれば、
瞬きをした瞬間にさえ、自分を含むあらゆる全てが確実に変化している。
その変化を認識できるのか。
唯一意識すべきは、他者ではなく自分なのだ。
そして、今ここの決断の連続によって、変化を生み出す力を持つのもまた自分。
「過去の自分」と「今ここの自分」の絶対比較から
「未来の自分」に向かって変化を創造するとき
他者は、自分の枠に気づき、世界を広げてくれる感謝の対象となる。
他者との差が、それぞれが持つ違いが、
どれだけカラフルな、躍動する美しい宇宙を創っているかに気づく。
相対比較から絶対比較へ。
そのシフトチェンジが、一瞬先の未来にキラリと輝きを与え
人生の方向性さえ変える力を持つのだ。